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江戸期儒学の集大成といわれた偉大な学者 安井息軒

安井息軒は江戸期儒学の集大成といわれ近代漢学の礎を築いた宮崎が産んだ偉大な学者、人物です。幕末〜明治初期に活躍した人物を多く輩出したことでも知られています。また、一方で森鴎外の『安井夫人』に描かれている「岡の小町」と呼ばれた妻、川添佐代も有名です。

安井息軒は学者であり、幕末期の思想家、改革後の人物教育者

安井息軒は非常に貧しい家庭環境であり、背も低く、幼少の頃天然痘に罹り、顔面の疱瘡痕で片目が潰れたようになるという見た目的な面での周囲の偏見を、自分の努力と才能によって覆し、ゆくゆくは江戸幕府後期の幕府儒官を拝命するなど努力によって出世していくという努力家でした。
その才能と人物を愛し、岡の小町と呼ばれ美人で通った「妻:佐代」の存在も安井息軒の奥深い人物を推察できるものではないでしょうか。

いつの時代にも必要な『不屈の精神で自分を向上させる』と『世の中の発展に寄与する(このときの安井息軒は日本の発展だったと思いますが。)』するための努力を惜しまなかった安井息軒の姿勢は、自分がどのような環境に育ち、どのような境遇におかれようとも必ず自分を活かす道はあり、認めてくれる人はいる!ということを教えてくれます。
俗な話になりますが、決して美丈夫、美男子、金持ちではなくても、その人物、考え方、心意気、優しさなどが備わっていれば森鴎外の『安井夫人』の佐代のような美人で貞淑な妻をゲットできる!というのも人間臭くていいですよね!(安井息軒先生、大変申し訳ありません。。)

安井息軒の足跡

安井息軒の簡単な足跡をたどってみたいと思います。学問、教育にかける情熱に頭が下がります。

・飫肥藩士安井滄洲の次男として、清武郷中野(現宮崎県清武町)生誕。
・幼少の頃天然痘に罹り、顔面の疱瘡痕で片目が潰れたように。
・大坂の篠崎小竹に学ぶ。
・江戸昌平坂学問所(当時の最高学府)で学ぶ。
・文政10年(1827年) 川添佐代と結婚。(森鴎外の小説「安井夫人」に登場する)
・郷校「明教堂」、藩校「振徳堂」で教鞭
・翌天保9年 私塾「三計塾」を開く。以後37年間に2,000人の塾生を育てた。明治の歴史に名を残した谷干城(たてき)、品川弥二郎、陸奥宗光、三好退蔵などはこの塾生。
・幕府攘夷派の中心水戸斉昭に『海防私議』『靖海問答』などを上書
・文久2年(1862年)幕府儒官を拝命し「文久三博士」と称される。
・明治元年(1868年)、飫肥藩江戸屋敷で塾生の教育に尽力
・明治5年 四肢不自由となる。持ち前の不屈の精神で最後まで筆を離さず「睡余漫筆」を書き綴った。
・明治9年9月23日午後7時、77年の生涯を閉じる。東京にて永眠。

安井息軒のコトバに「百里(ひゃくり)を行く者は九十を半(なか)ばとす」があります。『百里を行く者は、九十里を半ばと考えるべきだ。最後の十里がむずかしいという意味で事を始めるのはたやすいが、成しとげるのはむずかしいことのたとえ』。安井息軒のコトバは彼の人生そのものを表しているかのような努力と研鑽の道に思えます。
自分を省みてまだまだ努力が足りないと感じました。


きよたけ歴史館の中の安井息軒の等身大?の人形は撮影禁止でしたので、フロントにあったペーパー置きの安井息軒を撮影しました。ちょっとかわいい・・・。

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